尻冷し地蔵


住所:春日井市大泉寺町

高さ1.5メートル余り、幅0.6メートル余の浮彫式地蔵で正面右下には、正保4年(1647)と刻まれています。

台石の下から清水がこんこんと湧き出て、尻を濡らしていることから尻冷し地蔵と呼ばれるようになったとのことです。

建立のいわれは、昔、敵に追われた手負いの武士が清水で傷口を洗い、喉をうるおしていたところ、不運にも追手に発見され討たれてしまった。 この武士の霊を慰めるため、当時の人達がその清水の上に建てたのがこの地蔵といわれている。

戦前は万病に霊験あらたか、諸願がかなえられると、多くの参詣者で賑わったそうです。
現在も毎月24日地蔵様の命日には大勢の人達のお参りがあるそうです。

なお、安永2年(1773)名古屋の俳人、横井也有が内津の俳人、長谷川三止の招きにより内津への旅すがら、 ここで駕籠を止め 「尻冷し地蔵はここにいつまでもしりやけ猿のこころではなし」 の狂歌を残しています。
(春日井市指定有形民俗文化財)